わたしたちの  ”幸のいる家”  づくり

”幸のいる家”のお施主様である奥様から、たくさんの想いをお話頂きました。

みなさまにもご紹介できればと、ご協力頂きました。

 

衣食住の一つである住まいは、生きる為に欠かすことのできない要素です。

皆様にも、きっと素敵な思い出や想いがありませんか?

 

 

”幸のいる家”
”幸のいる家”

連載の続きはこちら →  2.子どもとの暮らしが始まる?!

1. 住まいへの想い

『家を建てたい!』


自分達らしい家を建てて、ゆっくりと幸せな時間をはぐくんでいきたい。

夢あふれる想いですね。

私達夫婦も結婚して16年間、「いつかきっと!」とその想いを温めてきました。

 

そして、今年、春風とともに私達家族に「私達らしい家」がやってきました。

 

これまでの歩みを振り返ったとき、私や夫の感じてきたこと、体験したことは「その人らしい家づくり」を実現できるヒントが含まれているのではないかと思いました。

未来のお施主さんになられる皆さんとともに私達のこれまでの歩みをたどりながら、「自分らしい家づくり」について考えてみたいと思います。

 

「書いてみなければわからない!」

 

私もどきどきしながらの執筆になりそうです。

 

 

『きっかけは社会人スタートから』

 

「住まいを考える」ことを普段意識する場面などあまりないのではないでしょうか。私もその例に漏れずで、衣、食、住の中で衣(ファッション)、食(グルメ)は手に入れようという気持ちがありましたが、住(建築)をさほど意識したことはありませんでした。

生まれてから住んでいた家は大正時代に建てられた小さな坪庭がある、うなぎの寝床のような細長い家です。結婚するまで、大学在学中以外はずっとその家で家族とともに生活していました。そのためか、私にとっての家は「つくる」ものではなく、「共にある」ものでした。

そんな私が、ひょんなことから突然建築の世界に飛び込むことになります。

 

 もともと「心を考える」仕事がしたいと思い教育学部に進学しましたが、大学3年の冬、新しい自分の可能性をみつけてみたいと民間企業への就職を目指すことにしました。 

 入社することになった企業での配属先が発足してまだ5年ほどの建築インテリア企画部門だったのです。そこには4人の先輩スタッフがいましたが、営業と総務からそれそれ兼務で配属された方と、私と同様建築以外の分野を学んでこられた方で構成されていました。皆が手探りの中仕事をこなしていました。

 さて、困った!建築の世界は言葉一つとっても独特の言い回しが多く、もちろん専門用語の嵐なので、図面に書かれているもの全てがわからない。図面そのものは見ればわかるというものではなく、平面上に三次元の情報を折り込んで描かれているため、読み方、見方を身に着けていないと描かれていることを正確に捉えることができません。師事を仰げる専門家もいない。

「このままじっとしていても何も変わらない。」そう思って私が最初にしたことは、比較的簡単な建築・インテリア用語集を買ったことです。いつもそれらを片手に悪戦苦闘していました。

 

そう、皆さんが「家を建てたい。」と思って、雑誌や書籍を買って家づくりのノウハウや、わからない用語を調べたりするのと同じです。

 

それでもなかなか難しいですよね。用語や図面の読み方、建物ができていく流れなど、目に見えやすいことは時間と努力を惜しまなければある程度はできます。でも、例えば建物を創造するうえで必要な考え方のようなものはすぐには身に付かないものですよね。簡単に手に入らないことがいっぱいあります。

私はその頃いつも思っていました。「信頼できる設計士さんが私達スタッフの一員としてそばにいてくださったらどんなに良いだろう。」と。今を大切にするには良いパートナーが必要だと強く思っていました。

 

あれからいろいろな経験を重ねて、実際施主として家を建ててみて思うのは、やはりあのころと同じ気持ち、「良い建物をつくるには良いパートナーが必要だ」ということでした。それは一緒に住む家族も、お家を建てるときにご一緒する方々もどちらも良い建物をつくる大切なパートナーなのです。皆が活躍して初めて良い建物が生まれるのだと実感しました。

自分を大切にし、相手も大切にできるという信頼関係がより良い建物を創るうえで最も大切なことなのだと思います。

 

アメリカでのDRからの景色
アメリカでのDRからの景色

『自分らしい住まいって!』

 

こんなふうに住(建築)を意識しなければという状況から、自分のこととしてより身近に意識するという状況へ変化するきっかけやはり結婚を決めてからでしょうか。

皆さんもそうではありませんか?私の友人などは結婚と同時に家族の勧めで家も購入したといういう人が二人もいました。

会社にもそういう諸先輩方が多く、当時結婚しお子さんも生まれるとのことでお家を建てようと奮闘されている先輩のお話をよく伺ったものです。

いろいろこうしたい、ああしたい、とお話されていたので、「設計事務所さんに依頼されることは考えられましたか?」とたずねてみると、「まさか、そんなのムリに決まってるよ。できてもハウスメーカーの中から何件か見積ださせて一番安くやってくれるとこだよ。」とおっしゃっていました。資金的に難しいだろうという気持ちと、サラリーマンの自分では敷居が高くてという気持ちがあったのだと思います。しかし、伺ったお話では本当にできるかできないかを判断するにはまだ早いような気がしたのです。

私はその話を聞いて、『本当にできないのかな?』と思いました。加えて自分が家を構えるときには同じハートで「私らしい住まい」をともに考えてくれる良きパートナーとなってくださる設計士さんがいたら相談してみたいと強く思いました。それが私の「自分らしい住まい」を考えるきっかけでした。

 

結婚を機に退職し、新居は公営団地の2LDKでした。そこでの暮らしの中、何度か家が欲しいねという話はでましたが、機が熟していなかったのか話は出ては消えの繰り返しでした。二人で共有する住まいへの思いができていなかったことが一番大きな原因だったと思います。

結婚して8年目を迎えた冬、夫の海外駐在が決まり私達はアメリカで生活することになりました。事実上しばらく家を持つ話は棚上げとなりました・・・ところがそれが私達の人生を大きく変えることになりました。

 

アメリカで暮らしたのは南部の静かな緑いっぱいの街です。私達の住まいはきれいな高級住宅地の中にある三階建てのアパートです。2ベッドルーム(8畳ほどの洋室にウォークインクローゼット、バスルーム付)+LDKの部屋で三階の部屋でした。そこはリビングダイニングからの眺めがすばらしく、特にダイニングルーム(DR)は四畳半ほどのバルコニーとガラス越しに繋がっていて、本当に私達の心のオアシスとなりました。アメリカなので、日本の一般的なアパートより広々としていることと、部屋ごとにバスルームとウォークインクローゼットがついているのにはさほど驚かなかったのですが、窓からの眺めには大変驚きました。

 

当然そのDRが私達の一番のお気に入りになりました。

 

海外暮らしが進むにつれ、仕事のことやなれないアメリカ暮らしでの困難さで、夫婦ともども辛いことが多々あり、それらを引き受けてがんばるしかない状況で乗り越えてこられたのは、そのお気に入りの場所があったからといっても過言ではありません。

そしていつの間にかふたりでその場所に座るたびに、「日本に帰ったら小さくてもいいからセンスの良い家にこのDRのような場所をつくり、お気に入りの家具を置いて、好きな音楽を聴きながらゆっくりワインを飲みたいね。」と話すようになり、それが二人の夢になりました。

この想いが芽生えてはじめて「自分達らしさ」を実感するようになったのです。

 

お気に入りだったDR
お気に入りだったDR