光格子の家

『人生の新たな1ページ』

 

≪第1章≫計画始動迄の軌跡

 

 我が家には私と妻の他に2人(正確には2匹)の娘がいます。彼女達は、世間一般的に【大型犬】と呼ばれる部類に属しておりますが、私達夫婦にとっても、恐らく本人達にとってもそうは思っていません。なぜなら、枕を使って一人前にいびきを掻いて寝たり、そうかと思えば、目覚めると同時に全開で尻尾を振りまくって、『あ・そ・ぼっ!!』と言わんばかりに私達の服の袖口を噛んで引き吊り廻す。はたまた、妻がキッチンへ向かおうものなら、その後をサッカー日本代表のディフェンダーばりにぴったりマークし、言われてもいないのに大人しくお座りして滝の如くヨダレを垂らす。散歩中に(もちろん人間の)イケメンを見つけると撫でてもらおうと近づきたがるし、お留守番させようとケージに入れるとふて寝するなど、ちょうど【幼稚園に上がった位の少しませた元気な女の子】と言ったところでしょうか。

 

 結婚当初から続いているこの日常に、いくら【ペット可】と言えども賃貸では限界があるだろうし、家賃を払い続けるのも勿体無いと考えていたので、良い物件にさえ出会えればマンション購入も満更でもないという状況でした。ここ浜松も【ペット可】物件は珍しくなく、しかも私の地元神奈川と比べても同等の面積・設備で安めの価格設定のため幾つか候補も挙がりましたが、その度にペットサイズによる入居制限やエレベーター・階段といった共有スペースへの出入り制限など細々とした制約条件により、折角の良さげな物件も今一つ踏ん切りがつけられないでいました。

 

 そのような日々が過ぎていくなか、普段から娘達との散歩でよく訪れていた閑静な住宅街で【気になる一軒家】を見つけるのが楽しみになっていき、中でも自然と目がいってしまう【黒塗りの鋼板壁が目を引く高原のロッジ風なお宅】があって、その飾り過ぎずシンプル過ぎない、主張し過ぎていないのに妙に存在感が有る何とも言えない雰囲気がお気に入りでした。そして何度となく見ているうちにある事に気が付いたのです。黒塗りの壁が目立つのに圧迫感が無く、むしろ爽やかささえ感じられるのは、太陽の光が差し込む所と影となる所の【見せ方】、また草木の緑と玄関脇だけ施された白塗りの壁の【色の使い方】等『際立たせたいポイントを光と色のコントラストによってコントロールしている!?』ということにです。

 

その頃位から『こんな感じの家ならいいな』から『この家ならいくら位(お金を)出せるかな?』に変わり、次第に『マンションが購入出来るなら中古の一軒家位は手が届くかも!?』と思い始め、ついに『ここ(浜松)に住むなら一軒家しかない』と考えるようになっていたのです。

 

 

≪第2章≫すべての始まり

 

 それは妻の実家にお邪魔していた時のこと。家族団らんの何気ない会話の中で義父の口から出た『浜松に家を構えるつもりなら(実家の)向かいの土地を使ったらどうだ?』との一言からでした。

 

 当時、自分からは家に関する相談はおろか、我が家の将来像についてあまり具体的な話しをしたことが無かったので唐突な出来事でしたが、きっと妻経由で、マンションのモデルルームを見に行ってることなどが伝わっていたからなのでしょう。

 

 ここ浜松は、(私が紹介するまでもありませんが、)温暖で海・山・川と言わずと知れた浜名湖を有する豊かな自然に囲まれた地域でありながら、生活には全く不自由を感じないほど整った商業施設も有り、また全国区といっても過言では無い【浜松祭】が行われる活気のある街です。仕事の関係で神奈川からこちらに移り住み早6年が経過しましたが、アウトドア派の自分にとっては当時から【住めば都】と言うより【住むほど都】などと感じていましたので、義父からのこの有難い申し出には到底断る理由を見付けることは出来ませんでした。しかもその土地とは、履物問屋を営む実家の自家用・業務用の車の駐車場として使っていた約60坪の東南角地で、JRの駅からも徒歩10分と掛からない場所でありながら、商業地域ゆえの周囲の背の高い建物のお陰でそばを通る車や電車の騒音も気にならず、建ぺい率も問題無し。まさにこれ以上は無い恵まれた環境でした。

 

 ニュージーランドと愛知にそれぞれ嫁いだ姉と妹がいる妻と神奈川に姉と兄が暮らす私にとって、1つの心配事を除く全ての条件が【浜松に家を建てる】方向に向いていると思いました。当初は、その唯一の心配事が今後の人生にも深く関わる重大な決断を要するものになろうとは思ってもいませんでした。

 

 よくサラリーマン家庭では、『家を建てると転勤を命じられる』と言う話を聞きますが、横浜に本社を構える自動車メーカーから出向で来ていた私は、まさにいつ戻されてもおかしくない状況にいたのです。それは折角家を建てたとしてもそこに住めない。或いは家族と一緒に居れないことを意味しており、ただの心配事ではなく【我が家のマイホーム計画の根底を揺るがしかねない大きな問題】でした。

 

 自分はどんな未来を望んでいるのか?妻は?娘達は?いずれ同居する親達は?自分は何のために仕事をしているのか?漠然とはいえ望む未来に向かって進んでいるのか?等、それらについて改めて冷静になって考えた時、自ずと出た1つの答えが【転職】でした。もちろん、10年以上続けてきた仕事に対して未練が全く無い訳もなく、また転職も相手あってのこと。簡単にはいかないことは十分承知のうえでした。しかし、だからこそこの決断が【自分達が望むライフスタイルを実現させる決意】を持たせてくれたと思います。

 2005年春、それが【我が家のマイホーム計画】の本格始動となりました。

 

 

≪第3章≫手探り状態

 

 我が家の前提条件は、実家の業務用の車を含む7台分の駐車スペースとバイク2台・自転車3台が納められて、且つ簡単な整備が出来るスペースを確保することでした。これが後々まで引きずることになる難題にして唯一の条件でした。これにより1階部分はどれをどうレイアウトするかのみで、あと必要な居住空間を考えていくと【3階建て】は止むを得ない状況でした。とは言え、アパートやマンションの様なスペース効率優先の真四角な建物にはしたくないと思っていたので、意外とやれることは有るだろうとタカをくくっていました。

 

 それからというもの、マイホームセンターや完成見学会、ハウスメーカーの体験工場見学などに出掛けたり、インターネットや雑誌、友人などから【3階建て】に関する情報を集めまくり、自分達なりのイメージを仕事柄苦手ではなかった図面や模型にすることで煮詰めていきました。しかし世の中そうそう自分に都合良く廻るものではありません。

 

 半年以上かけて数社のハウスメーカーとやり取りしていく中で思い知らされたのは、 【思いを伝えることの難しさ】と【理想と現実のギャップ】です。一生懸命説明したにも関わらず、求めてもいないその会社のお薦めプランを押し付けて来たり、頭ごなしに予算の上方修正を薦められたり、こちらが望むライフスタイル像を聞き流されたりと、楽しい筈の計画にストレスを感じることも少なくありませんでした。

 

 そんな中、気になっていた和風モダン調の家を得意とする某ハウスメーカーで、経験豊富ながらも、私達の要望に1つ1つ丁寧に応じて下さる熱心な営業マンの方に出会い、ついに私達のイメージに最も近く、予算的にも現実味のある見積りで収まった提案を頂くことが出来たのです。

 

 多少の見直しは必要なものの、あとは契約書へサインをするばかりの状態にまでどうにか辿り着くことが出来たのですが、ちょうど同じ頃、マイホーム計画と同時進行させていた転職活動も無事内定を頂けたことで、それまで張り詰めていた緊張感から一気に開放されたので、一息入れてから決心しようとお時間を頂くことにしたのです。

 

 そんな時、我が家のマイホーム計画を知った友人夫婦から『個性的で素敵な家を建てる建築士さんが事務所兼ご自宅で大きな犬を飼っているから、一度一緒に見に行こうよ』とのこと。ただ、前述の通り『今は一旦家のことから頭を切り離したい』とも感じていたので、折角のお誘いも最初はあまり乗り気になれないでいました。

 

 今思うと友人にも先方にも大変失礼だったのかもしれませんが、契約するかもしれない計画への【客観的な評価】と【煮詰まった頭の息抜き】のつもりでなら良いかもと思い、伺ってみることにしたのです。そして、その行動がその後の計画を一変させることになるとは夢にも思わず、【突き詰めたつもりになっていた】計画の甘さを思い知らされる結果となるのです。

 

≪第4章≫目からウロコ

 

 その出会いは、ある種運命的なものを感じざるを得ませんでした。

 友人お薦めの建築士さんにお会いするため事務所兼ご自宅のある閑静な住宅街を訪れた際、地図を持たずに来ていたので辺りを探す羽目になったのですが、とあるお宅の前を通り過ぎようとしたとき、周囲の家とは明らかに異なる雰囲気に『あっ、この家だ!』と直感的に気が付きました。とりわけ大きな看板も無く、いかにも事務所といった作りでもなかったので見過ごしてもおかしくなかったのですが、シンボルツリーとその後ろに垣間見える中庭や暖炉用の薪が【山小屋風な建物全体の雰囲気】にとても良くマッチしていて、どこかで見たことがある印象を受けたのです。事務所に通されて迎えに出て来られたのは、紳士然とした穏やかな雰囲気の、【設計者】というより【デザイナー】といったほうが当てはまる人当たりの良さそうな方でした。

 

 最初に感じた【見覚えのある印象】の謎は、話し始めて間も無く同氏が手掛けた作品集を見せて頂いている時に解けました。以前、娘達との散歩中に気に入って拝見していた、あの【ロッジ風の黒塗り壁のお宅】が、何とこちらで手掛けたものだったのです。

 

 共通して感じたのは【個性的でありながらも周囲と調和したたたずまい】という点と、【ロッジや山小屋にありがちな高い天井を想像させる外観】でした。しかも、その他にも数軒見覚えのある家を手掛けていて、驚きと共に興奮を感じていました。

 

 それが、私達と【住環境研究所()の藤田さん】との出会いです。

 早速、今迄のメーカーとのやり取りを説明したところ、『次回迄に考えてみます。』と言って下さったので、帰りの車の中で『振出しに戻る覚悟で少し契約を先送りするかな?』などと考えていたら、それを察したかのように妻が『見に来て良かったね』と一言。

 それから程無くして藤田さんから連絡が入り、『プランが出来た』とのこと。今迄のプランを超えるものが出て来るのか不安もありましたが、それ以上にどんなプランを考えてくれたのかが楽しみでした。

 提示してくれたのは2つの模型。興奮を抑えつつもじっくり眺めていくと、いずれも目を引く外観ではありましたが、1つ目のプランは、玄関が自家用車の駐車スペースの奥に位置していて日中でも薄暗い感じがしたのと、山小屋風ではあるものの少しアパート風な印象を受けたのが残念でした。それに比べて2つ目のプランは、通りに面した扉から玄関扉までの僅かなスペースとは言え、今迄メーカーさんとのやり取りでは1度も浮かばなかった【坪庭】があり、そのために1階床面積から【飛び出てしまった2・3階部分】も特徴のある形をかもし出し、見事にアパートっぽい外観を払拭してくれたのでした。

 しかし、この時最も肝心な部分で【大きな勘違い】をしていたことに、誰も気付いてはいませんでした。                     

 

 

≪第5章≫我慢の日々

 

  【大きな勘違い】。このことは、藤田さんもご自身が掲載する日経新聞サイトのコラムで告白されていますが、私が描いたデタラメな縮尺の図面を元に検討をお願いしたため、敷地面積が実際の2割増しで計画されていたのです。すぐさま正規のサイズで見直してもらったのですが、【坪庭】が設けられなくなったせいで空間の余裕も感じられなくなった3つ目のプランは、了承出来るものではありませんでした。

 

 やはり最初の印象が頭から離れず、無理を承知で『最初のプランの要素を極力残してほしい』とお伝えし、慌てず待ちました。そうして生まれたのが今の我が家の原形です。

 あんなに苦労していた7台の車の配置も、一部を【軽専用】とすることで【坪庭】との両立を図り、この家を特長付ける【2・3階部分の張出し】もそのまま残し、唯一屋根の形が【平ら】だったものから【R屋根】になりましたが、【山小屋風】の感じを損なうものではなく、納得のいくプランとなったのです。

 

 契約しかけていた某メーカーさんには丁重にお断りをし、本格始動から丸1年経ってようやく【契約】を交わすことが出来、我が家の全容が明らかになりました。

 以降、同研究所の佐藤さんが我が家を担当してくれることとなり、詳細設計に始まって各部図面作成、構造計算、施工業者選定など約9ヶ月の歳月を掛けて練りに練った仕様となり、2007年3月に晴れて【地鎮祭】を迎えることとなったのです。

 

 『本当にここに我が家が建つのか~』などと感傷に浸っていられたのもつかの間で、隔週に及ぶ施工業者さんとの打合せや、キッチン・ユニットバス・トイレ・洗面・給湯設備・冷暖房機器などの一般的な大物設備はもちろんのこと、シャッター・天窓・シーリングファン、各入口の扉1つ1つや備え付け家具といったこの家特有の仕様、外壁や室内壁や床などの材質や色から、照明・ポスト・表札といった中小物仕様の選定など、決めなければならないことが山ほどあり、それからの9ヶ月間はあっという間に過ぎていきました。

 中でも印象に残るのは、この家の顔となる自作文字の【表札】や佐藤さんに手伝ってもらって塗装した【光格子と名付けた通り壁】、そしてこれは完成引渡し後のことですが、こだわりの造園屋さんと植木屋さん巡りをして完成させた【坪庭】です。これらは、自らが積極的に行ったことで、より愛着が湧いたのはもちろん、大きな達成感を得ることが出来た本当に貴重な経験でした。

 こうして多くの方々に支えられながら幾多の紆余曲折を経て、ようやく迎えることが出来た2007年12月2日は、我が家にとって決して忘れることの出来ない、人生に新たな1ページが刻まれた日となったのです。

 

 

 

 

≪あとがき≫あれから1年

 

 今では家族全員が完全に我が家の虜です。陽の光がさんさんと降り注ぐテラスでのひと時も家族全員が居間で昼寝をしている時も、坪庭を手入れしている時も納屋でバイクや自転車をいじっている時も、家で過ごす全ての時間がゆったりと流れ、どんな温泉宿よりもリラックス出来る理想通りの家になりました。

 

 あえてマイナス面を挙げるとすれば、【我が家を満喫する】という新たな趣味を見付けてしまったせいで、昔の自分では想像出来ない程インドア派に転向しつつあり、情けなくも丸くなった体型がそれを見事に証明してくれたことです。しかし、それもまた幸か不幸か、今や遅しと出番を待ち続けている本来の趣味道具は日々の手入れでピカピカになって行く始末で、当面はその状況が続いてしまいそうです。

 

 来年、再来年、はたまた5年後、10年後に我が家はどんなライフスタイルを送っているのかと思うと、妄想が膨らみ今からワクワクしてしまいます。それには、最低でもメタボは改善して、この新たな趣味を末長く続けていけるよう精進していきたいと思います。

 

 最後に、我が家のマイホーム計画に関わって下さった全ての方にお礼を申し上げるとともにご健康をお祈りし、締めの言葉とさせて頂きます。どうも有難う御座いました。

 

 

                      2008年12月5日 Y.K.

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