幸のいる家

「家を建てたい!」

 私たち夫婦は結婚してからずっと他県で生活してきました。新婚当初は公団住宅、その後アメリカでの駐在生活をおくり、帰国後は賃貸アパートや賃貸マンションなどに移り住みながらの日々でした。その間、「いつかきっと自分達らしい家を建てよう!」と想いを温めてきました。

 これまでの歩みを振り返ると、私たちのこれまで経験した多くの事柄や多くの人々との出会いがなければ「幸のいる家」とはめぐりあえなかったと思います。

 

 

「さあ我が家を建てよう!」

 いろいろなご縁があり、夫の実家近くの土地を購入し家を建てることにしたのですが、さてどうしようと頭を抱えてしまいました。夫は大学からずっと浜松から離れて生活していましたし、私は他県出身で浜松は右も左もわからない。本当にこの場所で自分達らしい家づくりを実現させることができるのか、いったいどこに相談すれば夢がかなうのか、不安と戸惑いでいっぱいでした。

 

 

 そんな時住環境研究所 藤田所長さんのコラム「スローライフの住宅術」に出会ったのです。

私は以前から『お施主さんも含め、家づくりに携わるすべての人々の間で意志疎通が気持ちよくなされ、お互いを大切にし、知恵を出し合えたら…。皆が心を寄せ合う、思い合う家づくりがしたい』と思っていました。コラムを読んでみて、同じ思いでお仕事をなさっている方がいらっしゃったことに、驚きと感動が入り交ざったような気持ちでした。

「是非お会いしてお話を伺ってみたい!」そんな思いにかられ、私たち夫婦は住環境さんの門をたたいたのです。

 

 

「私たちの家って実現できるの?」

 実際土地と建てたい家を結び付けていこうとすると、乗り越えなければならない問題がいくつか見えてきました。私たちが購入した土地は

     前の道路が計画道路に指定されており、土地の一部分が使えないこと

     農地転用に伴い、建築面積に条件があること

など、これら諸条件をふまえた上で本当に自分達が望む家が実現可能かどうかを十分に検討する必要がありました。それには住環境の藤田所長さんが何度も足をはこんでくださって、打ち合わせを重ねてくださったことが何よりの助けになりました。難しいことがある分、しっかりと自分達の家に対する優先順位を検討し、それを予算にも反映させることができたと思います。

 

 

「生みの苦しみ、生みの楽しみ」

 では、実際「幸のいる家」はどのように生まれてきたのか。それは住環境さんと私たち夫婦との共同作業でした。

 私たちが「自分達らしい住まい」について明確な想いをもつことになった最も大きなきっかけは、アメリカでの駐在生活でした。暮らしたのはアメリカ南部にある緑いっぱいの静かな街です。私たちの住まいはきれいな新興住宅地の中にある三階建ての木造アパートの三階でした。そこはリビングダイニングからの眺めが良く、特にダイニングルームは、両開きのガラスの掃き出し窓越しに四畳半ほどのバルコニーが繋がっていて、そこからの眺めは四季を通して大変すばらしく、まさに私たちの心のオアシスでした。「日本に帰ったら小さくてもいいからセンスの良い家に、このダイニングルームのような場所を作り、お気に入りの家具を置いて、好きな音楽を聴きながらワインを味わいたい。」というのが夫婦の合言葉になりました。この想いが私たちの一つ目の夢でした。

 二つ目の夢は「自宅を建てる一生に一度の経験を、思う存分楽しみたい!」ということでした。家づくりにかかわる時間の中で出会った人々と心が通じ合い、常に小さな感動がある時間にしたいということ、完成した後もずっと私たち家族の人生の中でそれを感じ続け、住まいとともにゆっくり年を重ねて成長するような、住まいが自分の思い出とともにあり、共に生きていけることを望んでいました。

 この二つの夢を強く心に抱きながら打ち合わせを重ねていき、「幸のいる家」のプランが誕生したのです。それは少々難産ではありましたが、皆が「これだ!」とキラキラした笑顔で迎えることができたプランでした。藤田所長さん、担当のKさん、私たち夫婦がともに力を合わせて成し遂げられたことだと思います。

 

 

「現場が動いている!」

 地鎮祭、上棟式を経て、いよいよ現場が動き出してくると、設計段階での検討内容に基づき、一つ一つの仕様を具体的に決めていきます。

 選択肢のあるものは、少しでも現状に見合った使い勝手で、予算的にも、質・デザイン的にも「幸のいる家」に最もしっくりくるものを選ぶのです。「幸のいる家」には“これだ!”と皆が感じる唯一のものを探します。それらを設計担当のKさんと藤田所長さんと一緒に検討していく楽しさは、今でも忘れられません。まるで子どもがキラキラした目で宝物を見つけたときのような自分達でした。設計者と施主、時には施工業者さんも交えて「幸のいる家」への想いを膨らませ、お互いの想いを感じ、空間を創り出す取り組みは最も楽しい時間でした。皆の知恵や努力で家がどんどん変化していく様は、あたかも家に命が吹き込まれ、家が成長しているような感じがしました。そのときの楽しい思い出を含めて、私たち家族の「幸のいる家」のお気に入りポイントをご紹介したいと思います。

 

 

「玄関は部屋の続き」

 玄関前のウッドデッキは、まさしく私たちの体験したアメリカでのダイニングルームとバルコニー空間の役割を担っています。

ウッドデッキは室内の床材と同じ杉を使っています。柔らかい材なので痛みやすいのは承知の上で選びました。同じ杉材を使うことで、室内との一体感がほしかったのです。歩いた感じは柔らかく、音も静かで木の風合いが感じられます。リビングダイニング、主寝室、階段など室内のどこからでも眺められ、トネリコの木に当たる光が美しく、視覚的にもくつろげる最も愛する場所です。

 夏の暑さはやわらいで感じられ、冬は差し込む光が暖かく感じられます。これはコンクリートなどほかの材では実現できないのではないかと思いました。庇の寸法も、季節の日差しにちょうど良く、我が家のオアシスを演出してくれます。

 玄関ドアを開けて中に入ると段差がなく、コンクリートのたたきがあります。その真ん中に衣装的なタイルを敷くことによって、リビングと主寝室を行き来する架け橋の役目を持たせました。

 完成した我が家に初めて入った当時3歳の娘は、このタイルが面白いらしく何度も行ったり来たりしていたのを覚えています。

「やっぱり杉が好き」

 杉の無垢板を床材に選んでみて、改めてその触感に魅せられてしまいました。傷は付きやすいけれど、それはそれ。やはり踏みしめた柔らかさとしっとり感、温かさや涼しさは変えがたい良さがあります。

 「自宅を建てる一生に一度の経験を思う存分楽しみたい!」という私たちの夢もあり、基礎の土台の備長炭塗り、床の塗装はすべて自分達ですることにしました。備長炭塗りは娘も交えて皆でできたのですが、床の塗装は夫がすべて引き受けてがんばってくれました。床の塗装は木の風合いを楽しむためにもオイル塗装にしました。これがなかなか大変だったらしく、引渡し後もしばらくかかってしまいましたが、それでも彼は楽しんで毎晩作業を進めていたようです。「自分の家なんだ」ということが作業を通してより一層強く感じられ、とても嬉しかったそうです。

 

 

「初の試み?!」

 一階にあるリビングダイニングと主寝室の天井も構造材をそのまま見せることによって、木の雰囲気を楽しみたいというのが私たちの希望でした。その旨お伝えし、打ち合わせをしていく中で、我家の屋根の形状では天井に斜めに梁がわたり、切り返しができてしまうことがわかりました。

 切り返しによってできる「三角部分」をどう見せようかと木の取り合いを検討していたところ、藤田所長さんから「いっそ、この三角部分は木を使わずに、色で楽しんでみましょうか。」とのご提案。同席していた一同「面白そう!」と即決。後日談ですが、我家の天井は住環境さんでも初の試みだったらしく、所長さんのひらめきが生み出した宝物になりました。大工さんや左官屋さんにはとてもがんばっていただいたと伺っています。

 

「色遊びは空間を輝かせる」

 我家はとても小さな家です。しかし、夢があふれていると感じます。それはこの家に携わったたくさんの方々にも伝わったのだと思っています。そう感じさせてくれることに色の話は欠かせません。

 外観は白と赤を組み合わせてデザインされています。外装材の色決めのとき、藤田所長さんとKさんと私たち夫婦が、それぞれこれだという色をサンプル帳のなかから指差したらまったくばらばらだったのです。みんなで外に出て眺めてみても決められず、『これは実物を見てみるしかない!』と住環境さん設計の建物をいくつか外からそっと見させていただいて決めました。同じ赤でもいろいろあり、建物の外観デザインと我々の想いから納得の一色を選ぶのは難しい分、嬉しい時間でもあります。

 その後、内装材の取り決めに入っていったのですが、リビング壁の色イメージを話していたとき、私が飾りたいポスターが一枚あると話をしたことから私たちの色の旅は始まりました。グレーでもどんなグレーか。悩んだ末、南面の壁は濃い目のグレー、サイドの壁は少し緑がかった明るいグレーに塗り分けることで、室内にもアクセントをつけようという話になりました。その際、左官屋さんにサンプルを何度も作っていただき、“これだ!”という一色を創り出していきました。それをふまえ、例の天井三角部分の仕上げは「白の漆喰がいい!」と決まっていったのです。ならば、寝室も同様に西側壁面と天井三角部分を同じ濃紺のクロス、玄関前の階段脇の壁はライトグリーンのクロスを貼ることにしようと、現場でサンプルを並べていきました。そのとき、藤田所長さんが「階段の小口に色を塗ってみたらどうだろう。あわせてリビングと寝室の窓台も同色で塗ってみては。」とのご提案にまたまた一同「面白そう!」という話になり、いくつか色サンプルを作っていただき“これだ!”という一色を選びました。

 大人たちのこのワクワク感は幼い娘にも伝わっていたようで、内装が仕上がった現場を見て真っ先に絵に描いたのがこの階段でした。

 そうやって私たちの色の旅は続いていきました。

 

「ピンチはチャンス」

 私と担当者のKさんには大切にしたい場所があります。それはトイレとダイニングスペースです。

 打ち合わせ当初トイレには手洗い器をつけずに、すぐ隣の洗面所で手洗いを済ませれば良いと考えていました。それが、娘がトイレを一人ですませられるようになって始めてトイレ内に手洗い器が必要だと気が付いたのです。配管工事も済ませており、今から変更が可能かどうか微妙なタイミングだったのですが、思い切ってKさんにご相談したところ、手洗い器を付ける壁を真壁にすることでなんとか設置可能だとすぐに対応してくださいました。おかげでわずかな予算追加で実現することができました。

それをきっかけに、トイレ内装のデザインにもひと工夫したいという気持ちがKさんと私の中にふつふつと湧き上がってきたのです。皆で検討した結果、手洗い器上部の壁は左官屋さんに腕をふるっていただくことにし、その壁につけるブラケットライトに特徴をもたせようということになりました。

 建物全体の照明の最終決定もかねて探したのですが、イメージに合うものになかなかめぐりあえず、加えてダイニングスペースに使うペンダントライトとブラケットライトも、あらかじめ決めていたものが入手できないかもしれないなど、それこそ生みの苦しみでした。

トイレのブラケットライトは子どもが一人で用を足せる照度を確保でき、且つデザイン的にも合うか、またダイニングスペースの照明器具は心に決めていたものが間に合うか確認を繰り返しながら、代わりのものを何冊ものカタログを広げて探しました。幸い、トイレのブラケットライトも“これだ!”といったものが見つかり、ダイニングスペースの照明器具も希望したものが取り付けられることになりました。照明器具が取り付けられた日、それらが室内を照らす様子は私とKさんの一番の思い出です。まさにピンチはチャンスだと思った出来事でした。

「最後に」

 このように「幸のいる家」は多くの人々との出会いと、多くの「遊び心」と、多くの「家づくりを楽しみたい」という想いから生まれました。上棟式のとき、私は藤田所長さんとKさんになぜ我家の名称は「幸のいる家」なのか尋ねてみました。「それは当然、幸せがいっぱい集まる家ということでしょう!」と二人は微笑みながら答えてくださいました。そのお気持ちどおり、我家の家づくりに携わってくださった皆さんの想いが幸せとなって我家を完成させてくださいました。そして、皆さんとの想い出は消えずに今でも我家とともにあります。このようなかけがえのない時間を過ごせたことに、この場をかりて御礼申し上げたいと思います。

 そして、これから「幸のいる家」とともに年月を重ねながら、幸せもいっぱい重ねていけたらと思います。

 

201211月記

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