片付けられる家

多くの人が考えます。「住まいを構えたい」

 

それは何故でしょうか?

もちろん自分自身及びその家族が、永きにわたり所在できる“スペース”を確保するというのがその理由のひとつであることは間違いないでしょう。

しかし、その“スペース”を借りたものでも、買ったものでもなく、“造る”という行為で行うとしたら、それがもたらすものは何でしょうか?

 

一般的ではないかもしれませんが、私が体験した家を“造る”という行為を通して感じた私見をお話しさせていただきます。

家を造る過程は2段階に分けることができると考えます。それは「思案」と「具体的な方法論」です。乱暴な言い方ですが、「思案」とはどんな家を建てようか?ということを熟慮することであり、「具体的な方法論」とはその熟慮した家のイメージをどのように設計図に落とし込み、どんな手順で建てていくかということだと考えます。

家を手に入れる方法は様々なものがあると思います。一番シンプルな方法である“自分で建てる”にはじまり、“大手ハウスメーカーに発注をかける”など幅広い選択肢が存在します。その中で私が今回選択した設計事務所と家を“造る”というアプローチを採用した場合は、それぞれの段階で非常に大きいメリットがあったと感じています。

「思案」に関するメリットは“制限がない”ということです(もちろん金銭的な制限はとても大きな壁としてありますが…)。つまり、どんな形の家でも、どんな機能を持たせても、どんな素材を使ってもいいということです。

「具体的な方法論」に関するメリットは多大なサポートを得られる、つまり「思案」した結果を家という形にしていく作業をプロが的確に行っていただけるという点だといえます。

「具体的な方法論」をプロの設計事務所や大工さんなどにほとんどお任せできるとすると、施主に求められる最大の仕事は「思案」ということになります。

 

家=住まいは、ほとんどの人にとって、最も期間的長く利用するものでしょう。それは毎日磨いた車よりも、お気に入りの服よりも、自分自身とその家族に深いかかわりを持つでしょう。 

その住まいを「思案」しなければならなくなった時には、必然として自分自身の内部を深く探っていく作業が求められます。具体的には「私は、私の家族は、何が好きで、何が我慢できなくて、どのように人生を暮らしていきたいと考えるのか」を探っていく作業ということができます。

ある意味において、大仰に言うならば、建築当時42歳の私と家内と子供達の人生観の具現化がこの家であるともいえます。

そう思って改めて2年が経過した自宅を眺めると深い感慨に包まれます。

 

無論、柱一本、壁紙一枚、スイッチの一つに至るまで、私たちだけが考えたものではなく、設計事務所の方や大工さん、左官さん、庭師さんなど、この家の建設に関わってくださった多くの方々の提案により成り立っている成果です。つまり、これらの方々が素晴らしい「具体的な方法論」を提供して下さったということです。

 

長く伸びる廊下、シンク以外に独立した作業台を設けた台所、家族と来客を分けた玄関、外部からの視線をさえぎる車庫と居室スペースの配置、南向きの日が当たる浴室、琺瑯シンクを流用した大きな洗面台、短いがアプローチを飾る植栽…

特に狭い家ながらも洗濯室を設置したことと、豊富な収納を設けたことは、私たちの生活に関する価値観を表していると考えます。

 

家のデザインに関しては、シンプルな構造ながらも、住環境研究所の方の卓越したセンスがあふれています。

真っ直ぐ伸びた庇に、等間隔でリズミカルに並ぶ太く重量感がある垂木は圧巻です。こんなことは施主がいくら「思案」しても形にはできません。また、内装に用いた野地板、床板などは安い材料中でも大工さんが吟味して、配置場所や並びを整えてくれています。これも施主の「思案」の範囲を超えています。まさしく、「具体的な方法論」における住環境研究所の方や大工さんなどプロの作業です。

 

ひとつだけ施主でありながら「具体的な方法論」のほんの一部に携わらせていただいたことをお話しさせていただきたいと思います。

野地板、床板などは施主が木材会社の倉庫に出向き、建設前に家族でワックス塗りをさせていただきました。その数は数百本に及びます。一昨年の夏休み、家族揃ってお弁当持参し、汗をかきながら朝から晩まで家族でワックス塗りをしました。全部で丸々一週間以上はかかりました。

素人ながら木材の一枚一枚を「これは無節に近いから、玄関に。これは赤身だから浴室の脱衣所に。」と木と対話しながらワックス塗りをした日々は、家族にとっても貴重な思い出になっているとともに、家への愛着を深めています。

 

 

私達は「住まいを構える」ことを設計事務所と家を“造る”というアプローチでおこないました。それは先ほど述べた通り、それまでの自分や家族の人生を「思案」するということです。その「思案」するということこそが、文頭で述べた家を“造る”と行為がもたらしたものであるといえるでしょう。

毎日は日々せわしく過ぎていきます。その日々の中で自らが住む家を「思案」することを通して家族の人生を考える。この濃密な時間を持つこと自体が私達家族に大きな影響をもたらさないわけがありません。

さらに、家は、そして人生は、ここで終わるわけではありません。今後も続いていくのです。極端な言い方かもしれませんが、住まいの完成はこれからの私たちの人生やこの家での生活によって、なお引き続き形作られていくのだと思います。

 

最後となってしまいましたが、この家の設計に携わってくれた住環境研究所の藤田所長、そして特に服部さんに心からの感謝をささげます。本当に「具体的な方法論」だけではなく、「思案」の部分でも大きなサポートをいただきました。(施主としてはサポートをいただきすぎて失格かもしれませんね。)

工事に携わっていただいた方々も、まさしく「作り手の顔が見える家づくり」といえる仕事をしてくださいました。無理なお願いをいろいろしても、そのたびごとにプロの技で期待以上の成果を提供して下さり、作業中はいい意味で驚きの連続でした。

間違いなくこの家は、皆さんが造られた家であり、私たち家族は大変満足して、この家に住まわせていただいています。

 

2011年2月 記

-WORKS-

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